防災の日に思う

今日は防災の日。日曜日と重なり各市町村では参加者の多い防災訓練が行われるだろう。
9月1日としたのはご存知の方も多いと思うが、1923年9月1日正午頃発生し、死者10万人以上を出した関東大震災を戒めとした。
関東大震災の震源地は諸説あるが東京直下型ではなかった。一般的には神川県相模湾沖、一説には神奈川県秦野市や山梨県河口湖辺りとも言われている。

昼食時の火を消さないままの避難により各地で火災が発生、避難のために大八車に載せた家財に火が燃え移って拡大して行った。
更に能登半島に停滞していた台風の風が関東地方に吹き荒れ火災が拡大した為、東京市の43%が消失、火が消えるまでに40時間以上を要した。
結果、死者10万人の内9割の方が焼死だった。

当時の状況をリアルに想像できる新聞の見出し等をいくつかご紹介する。
*東京日日新聞、9月2日付の見出し:
 「東京全市火の海に化す」
 「日本橋、京橋、下谷、浅草、本所、深川、神田殆んど全滅死傷十数万」
 「電信、電話、電車、瓦斯、山手線全部途絶」
*建設中の丸の内の内外ビルディングが崩壊、作業員約300名が圧死
*震源に近かった横浜市では官公庁やグランドホテル、オリエンタルパレスホテルなど石造・煉瓦作りの洋館が一瞬にして倒壊し、内部にいた者は逃げる間もなく圧死

私の母親は関東大震災を体験しており、私に逃げる時は物干しざおをもって逃げなさいと子供の頃良く言われた。
曰く、地割れの中に人が落ちて、次の揺れで挟まれて亡くなった人もいた。避難中に長い竿があれば何かと助けになるとの説であった。
今考えると効果手には避難方法なのか疑問がわくが、防災の日に資料の残る関東大震災やその他の震災を映像で流すべきではないかと思う。

『災いは忘れた頃にやってくる』の諺があるが、生々しい記憶が薄れる間もなく次から次へと多くの災害が襲ってくる。
巨額の税金をつぎ込んではみたものの残念ながら、予知不能と結論付けざるを得ない地震。
台風の被害を朝鮮半島や中国大陸を守るような形になっている日本列島での各地の台風被害。
ゲリラ豪雨による河川の氾濫、地滑り、山津波等々。
今週はオルケアでの建築や八ヶ岳での日ごろの暮らし方について、防災の観点から考えをお伝えしていきたい。