第6回

省エネ法の改正

〜 次世代に向けた省エネルギー住宅を建てていくために 〜

平成という年号も29年となり、すでに多くの平成生まれの人たちが社会人として活躍しています。私は仕事上、弁護士さんとの関わりも多いのですが、平成生まれの弁護士さんが登場してきた時には、新鮮な驚きを感じたのを覚えています。そして現在の天皇陛下の退位が現実化し、元号もまた新しくなるようです。新元号の下で生まれる人たちからすれば、昭和生まれの人は2世代前の時代の人ですので、私たちが明治生まれの人を見ていたように感じるのだろうな、と思います。私の誕生月は昭和30年(1955年)2月、俗に言う早生まれであるため、同学年の多くが昭和29年生まれでした。当時の私は子供ながらに「30年生まれの自分は皆とは世代が違う」という感覚をずっと持っていたように思います。平成生まれの人から見れば、大きく「昭和の人」のくくりなのですがね。

1967年(昭和42年)に発売の「トヨタ2000GT」の画像です。

最近、FaceBookに「昭和30年生まれが泣いて喜ぶことあれこれ」というサイトを見つけ、登録しました。さっそく泣いて喜んだのが、この「トヨタ2000GT」の画像です。1967年(昭和42年)に発売され、生産台数はわずか337台とのことですが、映画007に登場したことにより、その名は一気に有名になりました。出来れば、私も運転してみたい車です。

また、懐かしいテレビコマーシャルも見つけました。「森永製菓エールチョコレート」などは、山本直純氏の作曲とご自身が出演されたコマーシャルが話題となった記憶があり「♪大きいことはいいことだ(ソレーッ!)♪おいしいことはいいことだ♪・・・」と、未だに忘れず口ずさんだ自分に驚きました。

1955年生まれの私が幼少の頃は、日本全体がまだ戦後の復興の時期で、食べることもまだまだ大変な時期でしたが、1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催され、一気に生活が変化していきました。家庭へのテレビ普及は一般的なものとなり、家庭内の食事のメニューも変化していったように思います。私が中学生になった頃には、日本も高度経済成長へと進んでいましたので、日常の生活はかなり変化しており、食生活も豊かになり、好みの洋服も買えるようになりました。エールチョコレートのコマーシャルにあるように「消費することは良いことだ」という雰囲気があったように思います。
 

その後も日本の経済発展は続き、私たちの生活はより快適になっていきました。家にはエアコンが取り付き、生活時間は深夜にまで伸びていき、高校生となった私も、アルバイトで稼がせてもらいました。人々の暮らしが快適に豊かになっていくのと比例して、エネルギーの消費量も格段に大きくなっていった時代であると思います。

日本がそのような時代であった1973年(昭和48年)、中東諸国において第四次中東戦争が勃発しました。これを受け、石油輸出国機構(OPEC)に加盟する産油国6カ国が原油価格の引き上げを決定したため、石油の価格は高騰し、世界的に経済が混乱する事態となりました。

エネルギーを中東の石油に依存してきた日本でもインフレが一気に加速し、戦後初めてのマイナス成長を経験することになります。いわゆる第一次オイルショックで、戦後続いていた高度経済成長は、ここで終焉を迎えました。

第一次オイルショック当時の様子

身近なところでは、トイレットペーパーや洗剤などの買占め騒動が発生したり、ガソリン価格が高騰し、ガソリンスタンドの営業時間も短縮されました。また、節電を理由とするエスカレーターの停止、ネオンの停止、深夜放送の中止などによって、私たちの生活そのものが変更を余儀なくされました。

それまでは、経済の勢いに乗り生活が豊かになっていった時代であり、何の疑いも無く、それが今後も続くものと信じられ、エネルギーに限りがあることなど考えずに済んだ時代でした。しかし、このオイルショックにより「電気も含め日本独自のエネルギーは存在しない」という現実問題を付きつけられ、また、食料の自給率の引き上げについても問題提起されることとなりました。

以降「いかにエネルギーを使わないようにするか」の見直しが行われていくこととなります。例えば、自動車では燃費が最重要視されるようになり、燃費の悪いロータリーエンジンは好まれなくなりました。また、発電についても石油依存であったため、いかに電気の消費を少なくするかも重要な課題となりました。

第一次オイルショックから5年後の1978年(昭和53年)、イラン革命により第二次オイルショックが発生し、やはり原油価格は高騰しましたが、第一次オイルショックの学習効果もあり、日本経済への影響は比較的軽微なもので済みました。イランにおける原油販売が早めに再開されたこともあり、数年後には原油価格も下落に転じ、危機を免れました。

日本においては、第二次オイルショック発生後の1979年(昭和54年)に「エネルギーの使用の合理化に関する法律(省エネ法)」がようやく制定されました。当時の「省エネ法」は、「石油・天然ガス等の効率的な利用と、季節や時間帯などによる利用の変動を縮小させること」が目的とされました。あくまでも、石油などの資源を効率よく利用しましょう、というものでした。

それ以降、世界的に大気の研究が進み、地球温暖化の仕組みが科学的に研究され始め、1988年(昭和63年)には、カナダのトロントで開催された大気変動に関する国際会議において「先進国は2005年(平成17年)の二酸化炭素排出量を20%減らす」という数値目標が初めて提示されました。エネルギー消費後の排出についても言及されたものであり、これが日本国内の行政レベルでの省エネルギーに対する取り組みのきっかけとなり、住宅業界においても、この取り組みが始まっていきました。

2017年(平成29年)現在、「省エネ法」の整備は着々と進んでおり、ガイドラインが示され、その最終目標に向かって進んでいる段階です。その内容については、性能表示の基準で見ていくと流れがよくわかります。記載されている各等級については、要約すると次の通りです。

「等級2」 1980年(昭和55年)第一次オイルショックを受けて省エネルギー基準が制定されましたが、これは、主に住宅金融公庫の融資を受けるにあたっての断熱基準でした。

「等級3」 1992年(平成4年)に省エネルギー基準の改正が行われましたが、その内容については、住宅金融公庫の融資基準であるフラット35「省エネルギー性」の基準が適用されたものでした。

「等級4」 京都議定書の議決を受け、1999年(平成11年)に省エネルギー基準の改正が行われました。また、性能表示の基準として「一次エネルギー消費量等級」が新設され、これまでの断熱性能による省エネだけでは無く、住宅の設備(給湯機・エアコン等)を含め、総合的な省エネ性能が要求されたことで、家電量販店などの建築業界への進出も見られました。

温熱環境・エネルギー消費量に関すること

表には「等級5」の記載があり、「低炭素基準相当」とのカッコ書きがあります。「低炭素」とは、石油や石炭・天然ガスなどの消費を減らし、二酸化炭素の排出量を減らすことを意味する言葉ですが、現時点で、法的に義務化されているものではありません。断熱性能や一次エネルギー消費量に関しては、現時点では、建築主の判断に任せられています。

しかし、2020年(平成32年)、東京オリンピック開催の年になると、温熱環境・エネルギー消費量に関する等級は法的に義務化されるものとなり、「断熱等性能・等級4」あるいは「一次エネルギー消費量・等級5」以外の建物は建築できなくなります。

夏は暑く湿度があり、冬は寒く乾燥する日本では、近代のようなエネルギーの恩恵が無い時代から、その風土に叶った木造建築の技術が発展してきました。また地震の多い土地柄、建物の耐震についての技術も古くから発展してきており、木造建物の構造に関しての法整備が行われたのは、1924年(大正13年)に改正された「市街地建築物法」であったことは、住まいの学校「第3回 構造規定の変遷」で述べた通りです。

それに比べると、1979年(昭和54年)に制定された「省エネ法」は、まだまだ発展途上のものであると言え、制定当初はエネルギーの消費を抑えることを目的としていたものが、地球温暖化に対する二酸化炭素排出の抑制にまで至る複雑なものとなってきています。加えて、住宅における断熱の施工手法については、長きに渡り建築基準法の規制外であったため、建築業界内における共通の認識が追い付いておらず、その技術基準の整備と普及が急務であるのが実態です。

耐震に関する技術や法規定は日本国内のものであり、日本国民の生命・財産を守るためのものであるのに対し、エネルギーに関しては、国内はもちろん、地球規模に目を向けての技術革新でなければなりません。


温熱環境・エネルギー消費量に関する等級の法的義務化が間近となり、住宅販売の宣伝文句にも「低炭素住宅」を売りにする内容がチラホラ見え始めています。低炭素住宅を建築するには、様々な新しい知識と技術が必要となります。

建築業界は今、次世代に向けた省エネルギー住宅を建てていくための正しい技術基準の確立、そして、地域差に偏ることの無い共通の知識と技術の普及が急がれる状況なのです。




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